すっかり寒くなってきましたけど、この時期は選手にとってオフということで、コーチや監督は選手の練習を手伝うことはできません。選手たちは1月から自主トレ、というものをやりますけど、私はどうもこの制度に反対です。やはり若い選手は何をどうしていいかわかりませんし、コーチがついてしっかり練習したほうがいいと思うんですよ。その点、昔は、合同自主トレというものにコーチがついてきて、しっかりと練習ができました。私も若い時期にこの合同自主トレで絞られまして、レギュラーになれたのもこの猛練習のお陰だったと思っています。かくもコーチという存在は重要なものなんですが、先般残念な話が舞い込んできました。コーチと言えばこの人と言っても過言でない、島野育夫氏が亡くなられたというニュースでした。
島野さんという方に、皆さんはどういう印象を持っておられますかね? 闘将・星野仙一監督の脇を固める名参謀、というイメージが一般的でしょうか。それは全くその通りなんですが、島野さんの人柄についてはお詳しくないと思います。
島野さんといえば、誰よりも野球を愛し、四六時中野球のことばかり考えておられた方です。指導者としても抜群で、何より、目配り、気配り、心配りの素晴らしい方でした。物事を横から見たり、下から見たり、上から見たりしまして、ありとあらゆる部分から観察しておられました。「強いチームには名参謀あり」と言いますけど、まさに島野さんのことを指すんでしょうね。
星野さんとは阿吽の呼吸で、もしかしたら、人間・星野仙一を星野仙一以上によく知っている人だったかもしれません。
私が2003年に阪神でバッテリーコーチをやらせていただいた時、星野さんが監督、島野さんがヘッドコーチを務めておられました。星野さんと島野さんは、島野さんの方が3つほど年上なんですが、監督とヘッドコーチという関係上、星野さんは島野さんに少し厳しかったんです。しかし、私が島野さんに聞いたところ、一度だけ島野さんが強く星野さんを諌めたことがあったそうです。
まだお二人が中日の首脳を務めていた時代の話だそうですけど、ある試合で序盤から大敗していたそうですよ。ベンチは諦めムードで、さすがの闘将・星野さんも「もうダメだ」という具合だったとか。ところが、ここで島野さんがこう言われたそうです。
「監督はいつも、選手に最後まで諦めるなと言われています。ここで監督が諦めたら、選手たちがかわいそうです」と、そういうようなことをおっしゃった。決して諦めない、星野さんの姿勢は、こういう島野さんの姿勢もあってこそ生まれたものだったのかもしれません。
星野さんが北京五輪への切符を手にしたのを見た時、星野さんが最後まで落ち着いた振る舞いだったのが印象的でした。絶体絶命というところまで追い込まれた台湾戦でも、動じるところはありませんでした。だからこそ、ノーアウト満塁でスクイズという大博打にも出ることができたんですが、それもこれも島野さんの為に戦ったからではなかったでしょうか。
昨年から島野さんは体調を崩されていました。その島野さんを心配させないように、「オレは頑張ったぞ、ヘッド、あなたも頑張れ」と、「北京の本戦も一緒に戦おう」と、星野さんはそう言いたかったんではないでしょうか。
見事に予選を戦い抜いた星野さんでしたが、残念ながら島野さんは帰らぬ人になってしまいました。星野さんの胸中を考えると、言葉もありません。
星野さんは島野さんの訃報に触れて、「自分が無理をさせて寿命を縮めてしまったのかもしれない」と悔やまれたそうです。星野さんがそこまで気に病むこともないと言ってあげたいですけど、この二人の間には私ごときが入れるものではありません。本当に、二人三脚でやってきた二人ですから。
野球が何よりも好きだった島野さんが一番喜ぶのは、北京五輪での金メダルでしょう。それは星野さんが一番よくわかっているはずです。星野さん、北京五輪、宜しくお願いします。そして島野育夫ヘッド、今までありがとうございました。安らかにお眠り下さい。
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第19回 名コーチ・島野育夫氏を偲ぶ
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