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サッカー 日本代表 W杯予選激闘の軌跡

サッカー日本代表 W杯予選激闘の記憶
1994年W杯予選・日本代表の道のり

空前のブームの中で

 そのとき日本は、空前のサッカーブームに沸いていた。半年前に開幕したJリーグは、若い世代を中心に、熱狂的に受け入れられた。スタジアムはどこも満員。チケットはプラチナ化し、テレビ中継の視聴率は20%を超える。サッカーは(他のスポーツとは)違う。カッコよくて、イケてる。誰もが新しい時代の到来を実感していた。

 日本代表もまた様変わりした。カズこと三浦知良をはじめ中山雅史、福田正博、北澤豪ら新世代は、初の外国人監督ハンス・オフトのもと、1992年夏にダイナスティカップ、秋にはアジアカップに初優勝。UAEやタイと同グループになった94年アメリカW杯アジア1次予選も難なく突破し、最終予選の行なわれるカタールの首都ドーハへと向かったのだった。

 ところが、灼熱のドーハで彼らが襲われたのは、ライバル国たちの警戒心とかつてない重圧だった。初戦でサウジアラビアと引き分け、イランにはまさかの敗北。2試合を終えて日本は、6か国中第5位(本大会出場は2カ国)というピンチに立たされてしまった。


オフトのメッセージ

 重苦しい空気がチームを包む。食事中も口数少なく、誰もが下を向いている。そのときオフトが、ボードに大きくこう書いた。

“3 WIN(スリー・ウィン)”

「何をそんなに落ち込んでいるんだ。あと3つ勝てばいいだけじゃないか」

 オフトの言葉がすべてを変えた。

「どうってことないじゃないかという彼の笑顔を見た瞬間に、空気がガラッと変化したのがはっきり分かった」と、後に山本昌邦(当時スカウティングコーチ)は語っている。

 プレッシャーから解放された選手たちは、北朝鮮に3対0と快勝。宿敵韓国にも、カズのゴールで1対0と勝ち、4試合を終えてグループの首位に立った。日本は勢いを完全に取り戻した。

 最終戦の相手はイラク。勝てば無条件で予選突破。引き分けでも他の試合の結果次第では、アメリカ行きが決まる。それがまさかあんな結末を迎えようとは……。日本中を震撼させる“ドーハの悲劇”を、もちろんそのときは誰も知る由はなかった。

ドーハの悲劇を振り返る ~掌からすべり落ちたアメリカ行きの切符~
文/田村修一

バロンドール(世界最優秀選手賞)選考委員。サッカーとマッサージをこよなく愛し、今日も世界を駆け巡る。著作に「トルシエ革命」(共著、新潮社)、「山本昌邦 勝って泣く」(文藝春秋)、訳書に「ワールドカップ・ストーリー」(共訳、新紀元社)など多数。

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