最高のスタートを切ったが…
1997年9月7日、東京・国立競技場。カズと城彰二が祈りを込めてキックオフしたボールは、次々とゴールに突き刺さった。カズの4得点に加え城と中田英寿もゴールを決め、日本はウズベキスタンを6対3と葬り、フランスに向け最高のスタートを切った。
続くUAE戦(アブダビ)も、深夜になっても座っているだけで汗が噴き出す猛暑のなか、しっかりゲームをコントロールし、アウェイで勝ち点1を獲得した。
パウロ・ロベルト・ファルカン(ブラジル)の後を受け、95年末に監督に就任した加茂周は、翌年アジアカップ連覇に失敗、さらには解任騒動(後任の有力候補であったネルシーニョ当時ヴェルディ川崎監督に、「腐ったミカン」と協会幹部が批判されながらも、最終的に加茂続投で落ち着く)など、紆余曲折を経て最終予選に臨んだ。
とはいえカズらドーハ組の円熟に加え、名波浩、秋田豊、山口素弘らが台頭。中田や城ら若いアトランタ五輪世代も加入して、チームはひとつのピークを迎えようとしていた。
苦渋の監督交代
ところが韓国戦(東京)は、山口の芸術的ループシュートで先制しながら、選手交代のミスを突かれまさかの逆転負け。直後の中央アジア遠征でも、カザフスタンにロスタイムに同点に追い付かれ、にわかに暗雲が立ち込めた。
このままでは予選突破が危うい。カザフ戦の晩、緊急の幹部会が現地で開かれ、加茂の更迭と岡田武史コーチの監督就任が決まる。解任騒動のとき、「(加茂でうまくいかなければ)私が責任を取る」と大見えを切った、長沼健会長(=当時。故人)ら協会幹部の苦渋の選択だった。
1週間後のウズベキスタン戦(タシケント)、終了間際に同点に追い付いた日本は、国立に戻ってのUAE戦こそ引き分けたが、韓国(ソウル)、カザフスタン(東京)を下しグループ2位を確保。プレーオフでイランを破って32番目=最後の代表権を獲得した“ジョホールバルの歓喜”へと繋がっていくのだった。
注目情報
サッカー 日本代表 W杯予選激闘の軌跡
| 文/田村修一 |
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バロンドール(世界最優秀選手賞)選考委員。サッカーとマッサージをこよなく愛し、今日も世界を駆け巡る。著作に「トルシエ革命」(共著、新潮社)、「山本昌邦 勝って泣く」(文藝春秋)、訳書に「ワールドカップ・ストーリー」(共訳、新紀元社)など多数。 |
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