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サッカー 日本代表 W杯予選激闘の軌跡

サッカー日本代表 W杯予選激闘の記憶
2006年W杯予選・日本代表の道のり 世界最速のW杯予選突破! 突出していたチーム力

個々の力で勝ち進む

 これほど危なげなくアジア予選を突破することは、今後もうないだろう。それだけ日本の力(とりわけ選手個々の経験値)は突出し、チーム力はアジアレベルでは群を抜いていた。

 2次予選はオマーン、シンガポール、インドを相手に6戦連勝。確かにもたつく戦い(アウェイでのシンガポール戦)もあったし、オマーン戦はホーム、アウェイともに1対0の辛勝だった。

 ただしそうなった理由の第一は、チーム戦術の欠如であり、マネージメントの緩さであった。

 選手に制約を課さず、彼らの自主性にすべてを任せる。それが日韓W杯の後監督に就任したジーコの方針であり、選手たちは突然与えられた自由に戸惑いながらも、フィリップ・トルシエ前監督に鍛えられた規律と戦術をベースに、ジーコの要求に応えようとしたのだった。

 実際、彼らはタフだった。ヨーロッパのクラブで経験を積み、2004年アジアカップ(中国・重慶)では反日感情の大ブーイングのなか、絶対絶命のピンチを何度も切り抜けて連覇を達成。PK戦で2対0とリードされながら、ゴールを替えて逆転した準々決勝のヨルダン戦や、中澤佑二のヘディングでロスタイムに同点に追い付き、延長で逆転した準決勝のバーレーン戦で見せた粘り強さは、最終予選でも大いに発揮された。


世界最速での突破

 ホームの初戦で北朝鮮を、大黒将志のロスタイムのゴールで下すと、10万人の大観衆が熱狂するテヘランでこそ、イランに1対2と敗れたものの、バーレーンにはホーム、アウェイともに連勝。埼玉では相手のオウンゴールを誘い、マナマでは中村俊輔との連携から、小笠原満男が決めた得点を守り切った。

 ここまで2次予選から10試合を戦い(9勝1敗)、うち7試合が1点差の勝利(1対0が5試合。2対1が2試合)。対戦相手は、わずか1点の間に広がる大きな差に、途方もない無力感を感じたはずだ。

 迎えた北朝鮮戦。北朝鮮へのペナルティ(平壌のイラン戦後の観客暴動)から中立地のバンコクで、しかも無観客で行なわれたこの試合でも、日本は柳沢敦と大黒の得点で2対0と快勝。最終のイラン戦を待たずして、世界最速で予選突破を決めたのだった。

ジーコJAPANの内情 ~海外組と国内組 両者を隔てた溝~
文/田村修一

バロンドール(世界最優秀選手賞)選考委員。サッカーとマッサージをこよなく愛し、今日も世界を駆け巡る。著作に「トルシエ革命」(共著、新潮社)、「山本昌邦 勝って泣く」(文藝春秋)、訳書に「ワールドカップ・ストーリー」(共訳、新紀元社)など多数。

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